NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。

  • 諫鼓山【西下町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、西下町の曳山。”堯王像”を安置している。原作は享保年間で年代を経て随時修繕・補修され、明治・大正の改修により構造・形態が拡大、今日の曳山が形成された。
    構造は...

  • 城端別院 善徳寺

    城端文化財寺院

    城端の大寺。浄土真宗東本願寺派(大谷派)別格別院。本尊は阿弥陀仏。城端町の発展に深い関連を持っており、城端の中核をなす寺院である。

    文明三年(1471年)、本願寺八代連如(れんにょ...

  • 井波風の前兆

    井波伝承その他

    井波地域は「井波風」と呼ばれる強い風が吹く地域である。井波風の予報・前兆として井波地域に語り伝えられてきたものが以下のとおり。

    ・春は前日好天にして朝霜深く降り、霜早く溶けるときは...

  • 蘭台

    井波文化人物

    天明期(1781~1789)の井波俳壇。明和五年(1768)に瑞泉寺第十四代住職となる。安永三年(1774)、井波を訪れた三浦樗良(ちよら)が井波の俳人と連日句会を催していたが、蘭台もそれに参加...

  • 桃化

    井波文化人物

    享保期(1716~1736)の井波俳壇において中心となった人物。瑞泉寺第十二代住職。元禄九年(1696)、浪化の長子として生まれる。幼いころに両親に先立たれ、十六歳で瑞泉寺の住職になった。桃化は...

  • 元禄期の井波俳壇

    井波文化人物

    元禄期(1688~1704)の井波俳壇は、浪化を中心にして最も充実した時期とされており、多くの優れた俳人がいた。主な俳人としては、妙蓮寺四代住職の其継(きけい)や林紅(りんこう)が挙げられる。<...

  • 浪化

    井波文化人物

    越中における、蕉門随一の俳人とされ、越中各地の俳壇に多くの影響を与えたとされる。瑞泉寺第11代住職の応真院常照で、浪化はその俳号である。

    東本願寺第14代琢如(たくにょ)の七男で、...

  • 風穴と風神堂

    井波文化財伝承

    井波地域は昔から強い風の吹く地帯であるが、井波の背後の八乙女山の尾根づたい、南西約1kmの尾根にある風穴と呼ばれる岩の隙間から吹き出すという伝承がある。養老元年(717)、越前の僧泰澄大師が八乙...

  • 瑞泉寺 太子絵伝

    井波文化

    太子信仰が盛んになるにともない、太子像の造立、太子関係の曼茶羅の作製と平行して、太子絵伝の制作も盛んになった。鎌倉末期から室町時代にかけて盛んに製作された。瑞泉寺所有の太子絵伝は、堅幅絵伝で八幅...

  • 翁塚・黒髪庵

    井波文化財史跡

    昭和30年7月、井波町文化財に指定される。芭蕉の弟子瑞泉寺11代浪化(俳号)上人が、元禄13年(1700)、京都からの帰途、近江国義仲寺の芭蕉翁の墓に詣で、周辺の小石3箇を拾い帰って浄蓮社の境内...

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