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翁塚・黒髪庵(おきなづか・くろかみあん)

昭和30年7月、井波町文化財に指定される。芭蕉の弟子瑞泉寺11代浪化(俳号)上人が、元禄13年(1700)、京都からの帰途、近江国義仲寺の芭蕉翁の墓に詣で、周辺の小石3箇を拾い帰って浄蓮社の境内に納め、翁塚を築き塚文を書いた。その後、芭蕉の縁者である也寥(やりょう)法師より、芭蕉翁の遺髪が贈られ、この塚に収められた。

黒髪庵は、浄蓮寺(かつての浄蓮社)の境内を塀で区切って建つ、板葺きの簡素な庵である。文化7年(1810)、濤白夜が発起して創立、北越俳人の浄財寄進を得て翁の霊牌を安置した。後にこの庵は焼したが、白夜の志を継ぎ再興。嘉永7年(1855)、翁塚は黒髪庵の庭に移された。

出典

・井波町史編纂委員会編『井波町史 上巻・下巻』1970年
・千秋謙治『井波 歴史のうねり600年』1990年

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