NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

Nanto City is working to create a unified collection of information about the many cultural and artistic resources the city possesses. This section of the website will serve as a place to collect and feature information about the culture and art of the eight former towns and villages that now make up Nanto City. Content will gradually be added over time, as we collect more and more cultural knowledge from the people of Nanto City.

本页的目的在于实现南砺市众多文化艺术资源相关信息的一元化。本页汇集了原8个町村的町史、村史以及文化艺术相关的信息。本页以汇集、反映市民大众的文化知识为目的,因此内容是一边向大家征集信息一边逐步制作的。

本頁的宗旨為統整南礪市裡數量眾多的文化藝術資產相關資訊。我們從舊八町村的町史及村史中揀選出與文化藝術相關的資訊,並彙整於本頁。本頁的另一目標為集結、反映市民的文化知識,故內容將因各位提供的資訊而逐漸完善。

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  • 城端大工

    城端歴史工芸

    近世のはじめ、諸大名がその支配地に町や都市を建設する際、大工や鍛冶など、必要な工人を優遇して各種の特権を与えていた。城端にも、加賀藩二代藩主利長から特権を与えられた五人大工のグループがあった。天...

  • 木屋五郎右衛門

    城端人物歴史彫刻工芸

    1623~不明。人形師の始祖。木屋仙人とも称される。享保元年(1716)に西下町の「堯王像」を制作したと伝えられている。その彫刻・人形師の技術はどのように習得したか、来歴はなどは明らかではない。...

  • 荒木和助

    城端人物歴史絵画彫刻工芸

    初代和助(1734~1806)は城端焼を創始し、殿村屋和助、唐津屋和助とも称された。曳山の人形作者、城端における江戸期の代表的な画家としても知られる。和助は紺屋を本業とする家に生まれたが、「唐津...

  • 城端蒔絵

    城端文化工芸

    城端漆器は、城端蒔絵として広く知られている。現在、城端蒔絵として世に伝わるものを見ると、大体二つの様式に分けることができるといわれている。一つは密陀蒔絵のもので、他は白漆蒔絵である。密陀蒔絵は、...

  • 菊池素空

    福光人物絵画工芸

    画人。本名を左馬太郎といい狩野芳崖の門下である。竹内栖鳳とも同門であった。浅井忠の後を継いで京都国立陶器試験場長になり、京都の陶磁器業の発達に貢献した人である。当時の福光の人達はことごとく素空の...

  • 松村秀太郎

    福光人物彫刻工芸

    彫刻家・陶芸家。明治21年(1888)、福光新町村生まれ。東京美術学校彫刻科を卒業後、美濃陶器工業学校に奉職。しばらくして郷里に戻り、高岡工芸学校に教鞭をとった。木彫、塑像いずれも卓越した手腕を...

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