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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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福光地域法林寺地区にある寺。真宗大谷派。開祖は高坂治部尉という。文明七年(1475)、蓮如が加賀国二俣村の本泉寺に来て越中方面に布教されたとき、道乗坊の郷里砂子坂にも巡錫して一堂宇を建立された。...
福光に滞在した世界的版画家・棟方志功が過ごしたアトリエ。昭和21年から昭和26年までの5年間、家族とともに生活した。
後に福光公園の一角に移築され、一般に公開されるようになった。現在...
日本画家。明治17年(1884)、福光にて生まれる。
11歳のとき金沢の光琳派の師についたが、19歳のときに竹内栖鳳に師事し、京都を拠点に制作活動を続けた。光瑤は、光琳風の華麗な装飾...
この盆踊り歌は、古来、砺波地方および婦負郡の一部に歌われてきたもので、「西山家弥栄音頭」または「千音加礼節」ともいい、この歌は割り竹を使用して拍子をとるので「四つ折り節」ともいわれている。
画人。福光宇佐八幡宮拝殿「神馬図」の奉額の筆者。文久三年(1863)、紺屋与右衛門が奉納した。
画人。本名を左馬太郎といい狩野芳崖の門下である。竹内栖鳳とも同門であった。浅井忠の後を継いで京都国立陶器試験場長になり、京都の陶磁器業の発達に貢献した人である。当時の福光の人達はことごとく素空の...
明治・大正・昭和三代にわたって活躍した画家である。青年期は小山正太郎の不同舎画塾で洋画を学び、中村不折とともにその才能を並び称せられた。昭和二十年五月、北山田村梅原(福光地域)の知人宅へと疎開し...
世界的に有名な版画家。明治36年(1903)、青森県生まれ。
昭和20年4月、石黒村法林寺(福光地域)の光徳寺に一家をあげて戦火を避けて、疎開生活を福光で過ごした。それから6年8カ月...
彫刻家・陶芸家。明治21年(1888)、福光新町村生まれ。東京美術学校彫刻科を卒業後、美濃陶器工業学校に奉職。しばらくして郷里に戻り、高岡工芸学校に教鞭をとった。木彫、塑像いずれも卓越した手腕を...
彫刻家。大正元年(1912)、荒木町生まれ。東京美術学校彫刻科在学中より、高畠大夢に師事。昭和十二年日中事変に応召して中国に転戦したが、十四年に帰還した。戦陣で病んだマラリアに苦しみながら、上京...
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