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専徳寺(城端)

城端地域金戸地区にある寺。浄土真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。 後鳥羽天皇第十二皇子が仏門に帰依し、嘉念坊善俊と称し、弘安二年(1279)夏、山田の郷塔尾の山中に一宇の坊舎を建立。その後、飛騨白川の郷中野照林寺に至り、弘安五年(1282)八十余歳を以て没した。その子俊徳坊がこれを継いで長福寺と称した。第七代善恵坊のとき、金戸の郷士堀一角という者が、善恵坊に帰依して堂宇を現地に移転し、専徳寺と改称した。明応三年(1494)頃のこととされている。専徳寺庭園の明確な築庭時期及び築庭者は不詳とされているが文明年中、上見より現在の金戸に移ったといわれ、それ以後の五百年余にわたって寺院とともに築庭し、伝承されたものと思われる。様式としては、築山を築き、庭石をいろいろと組み、池を配した池泉鑑賞式の庭園で、平成二年(1990)十二月十七日、城端町の文化財に名勝「専徳寺の庭園」として指定されている。

出典

・城端町史編纂委員会編『城端町史』1959年・城端町教育委員会『城端町寺社調査報告書』2005年

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