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桐木 神明社

福野地域・桐木地区にある神社。祭神は天照皇大神。昔から石黒郷の冨士神社の総社として尊崇されてきた。貞享三年(1686)、神明社を勧請して社号を改めた。

泰澄大師が荊波山(うばらやま)に荊波社を建て草庵をつくって数か月間滞在した。たまたま時の天皇が病気にかかられたので、大師に命じて荊波社に祈願させられたところ、たちまち平癒された。そこで天皇は坊社を建て砺波郡の朝貢を寄付して、医王山神宮寺の号を賜った。天平九年(737)、聖武天皇の命によって社殿をいまの地に移し、近郷七カ村を神領に寄付し、のち冨士神社ともとなえ盛時は敷地およそ二万歩に及んだという。天正九年(1581)、村の豪士丹羽長政が現地に神殿をつくって石黒郷26か村の総社とし、社領三〇〇石を寄付した。荊波神社は延喜式内礪波七社の一つであるが、いまもその所在は明らかではない。中世・近世にかけて調査されたが、そのつど当否の争いが起こった。隣村の岩木村に荊波神社があり、石黒郷二十六カ村の総社ととなえた。安永二年(1773)、ここを開墾したとき、鳥居の礎石らしきもの二個、そのほか土器、古瓦などが出た。

出典

・福野町史編纂委員会編『福野町史』1964年
・福野町教育委員会『福野町寺社調査報告書』2000年

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