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苗島 神明社と金塚の宮

福野地域・苗島地区にある神社。祭神は天照皇大神。

苗島にはかつて、「東の宮」と「西の宮」と呼ばれる二社があった。「東の宮」はいつのころからか「金塚の宮」と呼ばれていた。この金塚の宮には、金の瓶が出てきて、それが金の鶏になって飛び去った、その後、この神社を金塚の宮と呼んだ、という伝説がある。「西の宮」はかつて「苗島堂」と呼ばれ、福野高校敷地の東側付近にあった。維新前は藩の御留林でマツ、スギ、そのほか雑木が繁茂し、恩光寺林ともいった。正徳二年(1712)の「堂宮社人山伏持宮書上帳」には恩光寺の持ち宮となっている。この「西の宮」は、宝永元年(1704)四月十五日に、伊勢大神宮の御分霊が勧請されたと「河邊次郎左衛門由緒旧記」に記されており、明治二十一年(1888)六月許可を得て現在地に遷座された。

この二つのお宮は、明治四十一年(1908)三月に許可を得て、現在地に遷座されていた「西の宮」へ合祀された。明治四十二年(1909)七月三十一日、新社殿が竣工した。昭和六十三年十月、神明宮御遷座百周年と開村三百年祭が挙行され、記念事業として手水舎、社号標、狛犬が奉納された。

出典

・福野町史編纂委員会編『福野町史』1964年
・福野町教育委員会『福野町寺社調査報告書』2000年

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