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石武雄神社

福野地域・野尻地区の神社。石武雄神(いわたけおのかみ)をまつる。天照皇大神はもと境内社の祭神で、大正十四年(1925)七月許可を得て合祀した。

三代実録などによると、元慶三年(879)十月、従五位下の神階が授けられたことが見える。この付近は岩武野といわれ、野尻郷内二十九カ村の総社であった。縁起によると、天承元年(1131)、信州水内郡野尻の郷土河合典膳の子、河合五郎・六郎の兄弟が、生国の守護神である熊野三神の霊夢によって越中岩武野に移り、熊野三神を合わせまつって社殿をつくった。その故郷にちなんで野尻郷と称し、産土神として祟ばれた。古くは石武雄神社といい、神仏習合の時代には岩武三社権現、また熊野三社権現ともいわれた。明治初年の神仏分離によってもとの神社名になったという。

明治四十年(1907)、神饌弊帛料供進神社に指定され、昭和三年十月郷社に昇格した。旧本殿及び二の石鳥居は文政十一年(1828)造営、現本殿銅板葺流れ造りは昭和十二年十一月竣工、拝殿、弊殿は明治十五年(1882)造営、昭和四年神饌殿、神楽殿、神楽殿を弊殿両側に増築、あわせて一の石鳥居、社号標、手水舎、狛犬、随神像も建築された。境内に明治十三年(1880)創建の天満宮の小祠があり、昭和六年築山上に再建、昭和三十七年に修理再建された。古くから神仏習合の例によって、三十三年式大祭(開眼供養)が行われている。

出典

・福野町史編纂委員会編『福野町史』1964年
・福野町教育委員会『福野町寺社調査報告書』2000年

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