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福野神明社(ふくのしんめいしゃ)

福野地域横町地区の神社。祭神は天照皇大神・豊受大神・大己貴命。
慶安5年(1652)に町が大火でほとんど焼けた時、神の加護を求めて伊勢の神宮の御分霊を求めた。倶利伽羅あたりで日が暮れたので町の人々は手に手に行灯を持って途中までお迎えに出たのが、福野の夜高行灯の起源であるといわれる。

当神社の境内は最初から現在地で、慶安5年から約60年後の正徳5年(1715)に社殿が改築された。最初の祠はずいぶん小さなものであったと想像される。現在の弊殿・拝殿はいつ建設されたか定かではないが、天保以前の建築であり、明治36年(1903)8月弊拝殿屋根草槇板で葺き替え、昭和12年銅板葺に改築、明治40年弊殿の増改築があり、この年神饌弊帛料供進神社(指定村社)となり、弊殿の拡張を行った。境内末社に天満宮と稲荷社がある。天満宮は菅原道真をまつる。

夜高行灯は神明社の神事であり、弘化年間(1845~1847)の記録では「神迎え」と言われ、明治初年の記録では「献燈・敬観燈」などと記されている。5月3日に神輿の巡幸が行われ、5月1日・2日はその宵祭りとして「福野夜高祭」が行われる。

出典

・福野町史編纂委員会編『福野町史』1964年・福野町教育委員会『福野町寺社調査報告書』2000年

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