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タビ川の伝説

むかし高瀬の神が遠く高麗の国から渡来され、この水で足袋を洗われたことから「タビ川」と名づけたという。絹や木綿の足袋にコハゼをつけたのは明治以後のことで、もとはイノシシやシカの皮で毛を外側にひもでしっかり結んだ。二、三年は山野を馳けまわっても破れぬほど丈夫な履物であった。そこで足袋を洗うということは旅行の終わり、または戦争の終結を意味し、われわれの祖先が定着したことを意味する。旅川の名はいみじくも本来の意味にかなっている。

この旅川の水運が南砺、わけても福野に文化を運んだ証拠として、弥生式の遺物は未発掘としても、奈良時代より中世までの遺跡がこの川の沿岸に集中している。寺家の奈良時代塔婆の礎石、三ヵ所の城舘、上流の古い集落など、いずれも旅川に程近い。また中世の一向一揆以前の集落の発達を知る手がかりになる五輪塔など、石塔の分布にしても同様である。
小矢部川の水運を度外視しては安居寺を中心とした古代文化の遺跡は考えられない。かくて旅川は南砺文化の大動脈であった。

出典

・福野町史編纂委員会編『福野町史』1964年

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