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菊池素空(きくちそくう)

画人。本名を左馬太郎といい狩野芳崖の門下である。竹内栖鳳とも同門であった。浅井忠の後を継いで京都国立陶器試験場長になり、京都の陶磁器業の発達に貢献した人である。当時の福光の人達はことごとく素空の人となりに傾倒したといわれる。明治四十三年(1910)ごろ、素空が欧州視察から持ち帰った北欧の農民芸術品で「チョボ」と言われた木製人形類の試作を福光で行ったとされ、素空はこのためにたびたび来福した。これが現在の福光の郷土産業というべき木工業の始まりをもたらしたとされ、素空の功績は偉大である。優れた日本画家であり、来福中に数多くの作品を残した。

また素空は福光でもっとも懇意にしていた尾山善次郎の死を悼み、善次郎が生前教育事業に熱心であったことを思い、半折二百枚に揮毫して福光で画会を開き、これを資金に福光小学校に尾山氏奨学金を設けた。この奨学金はながらく終戦前まで続き、学童の育英に貢献した。

作品:「花鳥図屏風」「瀑布図」など

出典

福光町史編纂委員会編『福光町史 上巻・下巻』1971年

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