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岸駒(がんく)

画人。寛延二年(1794)、越中東岩瀬生まれ。丸山応挙と並び称された岸派の創始者。福光宇佐八幡宮の拝殿正面に掲げられた「猛虎の図」は岸駒の作で、岸駒の最も円熟した時期の作品である。

明和元年(1764)から一年あまり、十六歳の無名の乙次郎少年(のちの岸駒)は画道修行のために地方の名家を訪ね歩いて、福光に滞在した。その間、石崎善右衛門から請われて、その子息のために福光の宇佐八幡宮に奉納額を描いた。図柄は朝比奈義秀・曽我時宗の武者絵であったがその後破損があまりにも酷く、見るに堪えなくなり、文化五年(1808)岸駒の六十歳の時に現在の「猛虎図」に描き換えられた。

出典

福光町史編纂委員会編『福光町史 上巻・下巻』1971年

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