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光徳寺(こうとくじ)

光徳寺の画像
サムネイル

福光地域法林寺地区にある寺。真宗大谷派。開祖は高坂治部尉という。文明七年(1475)、蓮如が加賀国二俣村の本泉寺に来て越中方面に布教されたとき、道乗坊の郷里砂子坂にも巡錫して一堂宇を建立された。これが光徳寺の創建であった。さらに先に与えられた阿弥陀如来の絵像によって金銅の御像を鋳造して授けられた。これが光徳寺の本尊である。このとき蓮如自らたたらを踏んで「新保極楽、荒山地獄、花の名所砂子坂」とうたいながら鋳造されたという。この歌はその土地土地の信仰と布教の程度を風刺されたものかと考えられる。しかしこの堂宇は天正十八年(1590)十一月に落雷のために焼失した。
その後、光徳寺は加賀国田近郷二日市村に再建されたが、慶長十九年(1614)に現在地の法林寺に移って建立し今日に至ったのである。

出典

福光町史編纂委員会編『福光町史 上巻・下巻』1971年

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