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福光干柿(ふくみつほしがき)

福光の名産品。大正の初めからその製法に画期的な改良が行われ、品質の良いものが量産できるようになってから特産物として盛んに生産されるようになった。明治初期から大正初年にかけて生産数・品質ともに向上してきて、福光駅前の四輪農業倉庫に干柿出荷組合が併設され、近村の生産者が協力して販売態勢をもつようになった。干柿の名称を新たに「越の白柿」としたのもそのころであった。

また、福光町の販売商人たちも福光青果市場を開設して同様に干柿の共同販売に力をそそぎ、そのために富山県の名産として脚光を浴びるまでになった。昭和十年十月、山田村干柿生産組合の設立があり、このころ「富山干柿」の名称が用いられていた。また、つぎつぎに各村生産組合が設立され、これらの生産組合が合同して、富山干柿出荷組合連合会を結成した。

出典

福光町史編纂委員会編『福光町史 上巻・下巻』1971年

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