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川上中の由来

川上中は、藩政の頃は中村といわれ、寛文10年の藩から下付された村御印には井口中村と書かれている。
しかし、明治12年に同じ砺波郡内に中村が4か村もあったため、川上中村に改称した。その後、明治22年に町村制が施行されて、現在の井口村に属することになり、井口村大字川上中となった。
昔から近隣の村々の人々は、中村や川上中というより堀越と呼ばれて、その方が親しまれていた。
井波の瑞泉寺に残る記録によると、聖武天皇の御代に越前の高僧泰澄大師の祈祷によって、この地の大池に住む大蛇が封じこめられた。
この大池の跡を池田村と称し、大蛇に人身供養をした処を蛇喰村と称したと述べてあるという。
川上中一帯は、この大池(池をこの地方では堀ともいう)を通り越して行く在所であったから堀越と言うようになったと言い伝えられている。

出典

井口村史編纂委員会編『井口村史 上巻・下巻』1995年

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