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(ひえ)

五箇山地方では古くから稗が重要な作物で、明治の終わりころまではそばや粟などとともに常食とされていた。昭和に入ってからは飛騨地方では食べられていたようであるが、利賀村ではそばや粟より早く姿を消した。稗にはササベ(笹稗)とアマベ(甘稗)の2種類があった。食べ方はどちらも似たようなものであるが、ササベは挽いてそばやきびなどと混ぜて煎り粉にして舐めたり、団子にして食べるのに比べ、アマベは、精白して稗飯で食べることが多かった。稗飯の冷めたものは味が落ちるので、熱いうちに食べないとおいしくなかった。そのため、稗飯の弁当はあまり喜ばれなかった。

出典

利賀村史編纂委員会編『利賀村史1~3』2004年

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