流刑(るけい)
- 平
- 上平
- 歴史
寛永7年(1667)に加賀藩の罪人(金沢藩士)が祖山へ流されたのが始まり。元禄3年(1690)から五箇山は藩の流刑地となった。加賀藩の流刑地は庄川の右岸の集落に限られていた(猪谷、田向、大島、大崩島、祖山、小原、篭渡)。流刑者が居住する小屋は流刑小屋と呼ばれ、軽犯罪者の入る平小屋と重罪人が入る御縮小屋(おしまりごや)があった。
出典
上平村役場『上平村誌』1982年
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寛永7年(1667)に加賀藩の罪人(金沢藩士)が祖山へ流されたのが始まり。元禄3年(1690)から五箇山は藩の流刑地となった。加賀藩の流刑地は庄川の右岸の集落に限られていた(猪谷、田向、大島、大崩島、祖山、小原、篭渡)。流刑者が居住する小屋は流刑小屋と呼ばれ、軽犯罪者の入る平小屋と重罪人が入る御縮小屋(おしまりごや)があった。
上平村役場『上平村誌』1982年
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