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五ヶ山(五箇山)(ごかやま)

五ヶ山の文字が、文献にはじめて見られるのは、現在のところ上平村細島生田長範氏蔵の方便法身尊像の裏書きで、
大谷本願寺釈実如(花押)
永正十五年戊寅五月□□日
本願寺門徒
越中国利波郡
五ヶ山荒山村 願主 釈了願
である。

永正十五年とは西暦一五一八年で、それ以前のものには越中利波郡赤尾之内葛村とか、越中利波郡上梨内小原村、あるいは越中利波郡赤尾楮村などとあって、五ヶ山の文字は見られない。

その後においては五ヶ山は、五箇山、五衛山、五架山などの文字が使われているものがあるが、多くは五ヶ山であり、戦後は五箇山の文字が多く使われるようになった。

出典

上平村役場『上平村誌』1982年

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