平家落人伝説
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五箇山といえば〝平家の落人が来たところ″ということで名が高い。落人のことについては、上平村にも確かに話が伝えられていて、落人屋敷や控え屋敷などがあり、落人が逃れてきたときの様子などが哀れに伝えられているけれども、この落人が平家のことであるかとなると、なかなかその確証は得られない。
平家と源氏が戦って、倶利伽羅で平家が敗れたのが寿永二年(1183年)で、その後、屋島や壇の浦で平家が敗れたのもそれからおよそ二年の後であるから、それは今からおよそ八百年前のことである。しかもその後において源氏は数回にわたって平家の残党を探索したといわれているし、貧困で、しかも火災に弱いカヤ葺屋根の住宅で生活した五箇山の住民から、その当時の物証を発見することは無理なことでもある。
文献によって、五箇山へ平家の落人があったと記したのは、文化年間(1804~1818年)に北茎という人が「北国巡杖記」という本に書いたのがはじめのようで、その後、この北国巡杖記をもととしたものがいろいろ書かれている。しかし北茎が何によって平家落人説を書いたのかは解っていない。
出典
上平村役場『上平村誌』1982年
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