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役行者(えんのぎょうじゃ)

役行者(エンノギョウジャ)は、今から約1400年前の人であったが、心の狭いひとたちの申出によって天皇に捕えられ、伊豆の大島へ流された。この時、天皇からさしむけられた軍勢が、空を飛び雨を降らせる行者を捕えることができず、やむなく行者の母を捕えて投獄したので、母思いの行者は自ら縄をうけたといわれている。
その後、行者が許されて越中の金剛堂山を訪れたとき、お供をした弟子の卜丸正位は、行者からこの山を開くように命ぜられた。正位はこの地で薬草、養蚕、機織の術をはじめ火難、水難、雨乞、凶作を封じる術や、道中安全、家内繁昌、強敵降伏、病魔退散などを招く術を案出して、弟子をして附近の村人を教え導いた。
その後数代を経て応和元年(961)に堂宇が破損したので、薄尾という地に修験所が移され、九箇谷(赤尾、上梨、下梨、小谷、利賀、大長谷、仁歩、室牧、野積の九谷)鎮護の代表神となった。このような伝説が残されている。

出典

上平村役場『上平村誌』1982年

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