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麦屋節(むぎやぶし)

五箇山の郷土民謡。七百余年のその昔、京都に栄華全盛を極めていた平家は、木曽武者のため計らずもその勢いを失い、続いて、頼朝兄弟のため、長門の壇の浦に儚き最期を遂げた。かくて平家の一門は末路の悲哀に胸を掻き乱しつつ、遠く人里離れた庄川の上流五箇山の山中に逃れ、弓矢持つ手に鍬鎌を取り、麦を蒔き、菜種を植え、麻を作り、一目を避けて安住の地と定めた。その末裔が平村の起源と伝わっている。この絶望的な生活の中から、在りし日の歓楽を追って唄い出されたのが、麦屋節の唄と踊りの始まりとされている。また、麦屋節の名は、平家の落人の紋弥(もんや)なる者が唄い始めたので、その名をとり、訛ったとも伝えられている。

出典

平村史編纂委員会編『越中五箇山 平村史 上巻・下巻』1985年

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