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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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享保期(1716~1736)の井波俳壇において中心となった人物。瑞泉寺第十二代住職。元禄九年(1696)、浪化の長子として生まれる。幼いころに両親に先立たれ、十六歳で瑞泉寺の住職になった。桃化は...
元禄期(1688~1704)の井波俳壇は、浪化を中心にして最も充実した時期とされており、多くの優れた俳人がいた。主な俳人としては、妙蓮寺四代住職の其継(きけい)や林紅(りんこう)が挙げられる。<...
越中における、蕉門随一の俳人とされ、越中各地の俳壇に多くの影響を与えたとされる。瑞泉寺第11代住職の応真院常照で、浪化はその俳号である。
東本願寺第14代琢如(たくにょ)の七男で、...
井波地域は昔から強い風の吹く地帯であるが、井波の背後の八乙女山の尾根づたい、南西約1kmの尾根にある風穴と呼ばれる岩の隙間から吹き出すという伝承がある。養老元年(717)、越前の僧泰澄大師が八乙...
太子信仰が盛んになるにともない、太子像の造立、太子関係の曼茶羅の作製と平行して、太子絵伝の制作も盛んになった。鎌倉末期から室町時代にかけて盛んに製作された。瑞泉寺所有の太子絵伝は、堅幅絵伝で八幅...
昭和30年7月、井波町文化財に指定される。芭蕉の弟子瑞泉寺11代浪化(俳号)上人が、元禄13年(1700)、京都からの帰途、近江国義仲寺の芭蕉翁の墓に詣で、周辺の小石3箇を拾い帰って浄蓮社の境内...
城端漆器は、城端蒔絵として広く知られている。現在、城端蒔絵として世に伝わるものを見ると、大体二つの様式に分けることができるといわれている。一つは密陀蒔絵のもので、他は白漆蒔絵である。密陀蒔絵は、...
城端神明宮の春季祭礼。5月4日(かつては5月14日)が宵祭、5月5日(かつては5月15日)が本祭。宵祭では、城端神明宮から御旅所に神明・八幡・春日の3基の神輿が移され、各町の曳山と庵屋台は各町の...
城端曳山祭の特色の一つ。各町趣向を凝らしたものを1基ずつ持っている。曳山より先の時代のもので、神様を天上より御招きする古い行事の名残りである。大体の形は大きな絵番傘に約一尺巾のちりめんの幕を傘の...
屋台の中に入る囃方は若連中で、何れも家業についている男子であるとされる。その服装は、昔は東上が錦の着物に天鷲絨の帯をしめ、西上のものは赤の縮緬の着物に素袍を着ていた。これは慶応年間に全部、羽織袴...
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