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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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寛永7年(1667)に加賀藩の罪人(金沢藩士)が祖山へ流されたのが始まり。元禄3年(1690)から五箇山は藩の流刑地となった。加賀藩の流刑地は庄川の右岸の集落に限られていた(猪谷、田向、大島、大...
上平地域西赤尾町地区にある寺。浄土真宗大谷派。本願寺八世法主蓮如上人の弟子道宗によって開基された。本堂は昭和初年に再建された。山門は約300年前の建築とみられ、風格もよい。庫裡は合掌切妻造りで、...
役行者(エンノギョウジャ)は、今から約1400年前の人であったが、心の狭いひとたちの申出によって天皇に捕えられ、伊豆の大島へ流された。この時、天皇からさしむけられた軍勢が、空を飛び雨を降らせる行...
道場は、形式的には本寺の布教所とされているが、道場を運営面でも経済面でも支えていたのはムラ共同体であった。求道者を中心に道場が村々に作られ、それが次第に寺院化していくのが常だが、五箇山では長く道...
五箇山の豆腐は固いのが特徴。わらで十文字に縛って、持って歩けるぐらい固い。平生は作らず、正月や祭り、報恩講、祝い事など、特別な日にだけ作られた、ハレ(晴れ)の食物である。各家で作っていた。
甘稗。稗の一種。炊いて食べた。主に山畑に直蒔する。苗床で育てて移植することもある。
「りょうぶ」のこと。五月末から六月初めにかけて若芽や若葉を摘む。茹でてむしろに広げて干し、揉んでさらにツツで叩いて細かくする。茹でたものを絞り箱で絞って包丁で刻んで干すこともあった。これをクグツ...
五ヶ山は畑作地帯であり、水田が無かったから、米を主食にすることが無かった。平野部の水田地帯でも百姓家庭では混食し、団子で補うのが普通であった。五ヶ山の村々の家庭では稗・粟・またびえ・麦・豆類・大...
五箇山の伝統的な家屋にみられる様式。五箇山の名物で、全国的にその名が高く、相倉・菅沼両集落は「五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
屋根は合掌組切妻。勾...
五ヶ山中においては養蚕は耕作に次いでの主産業であった。和紙作りとともに屋内作業で、女子の仕事とされた。口承によると、五ヶ山の養蚕による繭糸すなわち生糸作りは、南北朝時代に新田義貞の一族郎党によっ...
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