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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。
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町端・村はずれ・四つ辻・岐れ道など、町内あちこちに地蔵様を祀ったお堂が多い。地蔵信仰は中世以来の民俗で、今日に至ってもなお民間にひろく持続されている。地蔵信仰の起源は平安時代末期にさかのぼり、さ...
福光は加賀国境の霊峰医王山下に位置しているので、古くから山岳信仰を伝えてきたと考えられる。文明十三年(1481)福光城主石黒光義が瑞泉寺一揆に敗れたとき、医王山の寺坊も焼き払われてしまい、長らく...
画人。文化四年(1807)生まれ。幼名を源三郎といい、のち喜八と改めた。父は吉三郎と称し、前村謹堂の従弟にあたる。成人ののち、岸駒に師事して岸派を学んだ。天賦の素質に恵まれて、郷土の画人として大...
福光地域にある神社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみごと)である。すなわち応神天皇をお祭りしている。創始は天平十八年(746)、泰澄大師が豊前国(大分)の宇佐八幡宮の分霊を奉じて、福光の地に鎮座...
福光の名産品。大正の初めからその製法に画期的な改良が行われ、品質の良いものが量産できるようになってから特産物として盛んに生産されるようになった。明治初期から大正初年にかけて生産数・品質ともに向上...
川上中は、藩政の頃は中村といわれ、寛文10年の藩から下付された村御印には井口中村と書かれている。
しかし、明治12年に同じ砺波郡内に中村が4か村もあったため、川上中村に改称した。その...
蛇喰の共有林を「宮さま山」と呼び、そこにはニ体の石仏が石祠に納まっている。そのうちの一体が「山の風神様」と呼ばれているもので風神の姿をしている。
天部の風天で、インドの風の神ヴァーユ...
赤祖父溜池の左岸、川上中地内の山中にある。小さいお堂の中に火炎を負うた木造の不動尊を祀る。例年、6月18日の午後、赤祖父水郷の村々から区長が集まり、城端町の城国寺さん(曹洞宗)をよんで風除けと五...
小豆雑煮。一月十五日のサツキの朝作る。ダゴノゴ(屑米の粉)でこねた団子を入れる。団子は円柱形の稲株や米俵、小さく丸いタノシ(団子の形。田螺で”田主”の意味。)に形どる。
大根葉などをさっと茹でて刻み、味噌をまぜて煎り煮にしたもの。ほかにも、カブラ菜・ホーキン(ほおきぎの実)・イモジ(里芋の葉の干したもの)・ナスビなどがある。
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