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石崎光瑤(いしざきこうよう)

日本画家。明治17年(1884)、福光にて生まれる。
11歳のとき金沢の光琳派の師についたが、19歳のときに竹内栖鳳に師事し、京都を拠点に制作活動を続けた。光瑤は、光琳風の華麗な装飾風花鳥画に優れていた。晩年には落ち着いた写意的な作品が多かった。30代で帝展審査員を務めるなど、その秀でた才能は万人が認めるところであったが、その技量・作風で常に郷土画壇と対峙する立場にあった。花鳥を中心に不朽の名作を残した。

光瑤の画業の転機となったのは、インド旅行で得た「燦雨」や高野山金剛峯寺の襖絵「紅雉図」などの作品であり、これらの作品が光瑤の画壇における地位を不動のものとした。インド旅行後に制作した「燦雨」や、ヒマラヤを登った収穫とされる「紅雉図」など、代表的な作品の多くは福光美術館に収蔵され、展示されている。また、福光宇佐八幡宮には、市の文化財に指定されている「白孔雀」が奉納されている。

なお、登山家・写真家としても異彩を放ち、明治期の立山、剣に足跡を残している。

出典

福光町史編纂委員会編『福光町史 上巻・下巻』1971年、2011年

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