千枚分銅山【大工町の曳山】(せんまいぶんどうやま)
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城端曳山祭にて登場する、大工町の曳山。”関羽と周倉像”を安置している。享保年間に作られた原作は、明治33年(1898)の大火で焼失したため、明治39年に復元、再造された。
構造は輻車(やぐるま)の車輪、四方唐破風の屋根、平天井で、高さは6.34メートル。他の曳山のように長年にわたる増補・改造の積み重ねではなく、一貫した設計に基づいて作られたので、形態も均整がとれている。見返し(後屏)は、一般的に”須佐之男命大蛇退治図”と言われているが、謡曲の”張良”から取材した図であるとも言われている。
関羽は三国時代の蜀漢の武将、周倉は勇猛な関羽の武将。大工町では当初、千枚分銅を模した造形を御神体として安置していたのではないか、と伝えられている。「千枚分銅」の名称もこれに由来したものと言われている。
出典
・城端曳山祭保存会『城端神明宮祭の曳山行事』2017年
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