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囃方(はやしかた)

屋台の中に入る囃方は若連中で、何れも家業についている男子であるとされる。その服装は、昔は東上が錦の着物に天鷲絨の帯をしめ、西上のものは赤の縮緬の着物に素袍を着ていた。これは慶応年間に全部、羽織袴に改められた。それから屋台の前囃というものがあって屋台に先行した。東上は太夫に禿、出丸は唐子四人、西上は禿姿の女子衆三人、西下・東下は公卿姿三人。これらは何れも四本の青竹で作った囲の中に入って歩いた。これも明治になる直前まで行われた。更に特異なのは東上で、曳山の上の現在も見える人形は、一種の操人形で踊りをおどったのであるが、明治初年歌舞伎の禁が布かれた冬至、この操も歌舞伎に類するものとの理由で停止されたという。

出典

城端町史編纂委員会編『城端町史』1959年

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