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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。
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平村にて語り継がれてきた伝説。
「五箇山の人が城端の町へ出る道に、横わたりの難所があった。村の人たちは重い荷をかついでこの道を通ったものである。その人をボッカといった。
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平地域の著名な縄文遺跡。明治26年4月、田向の堂本氏宅の増築工事中、彫刻を施した鎌形の石が地表から1メートルほど下で発見されたが、奇形の石で不安だと土中に戻されてしまった。大正7年の春、富山考古...
浄土真宗における講は、信仰面においても組織面においても中心をなすものである。五箇山は浄土真宗一色であるので、社会生活の中で講行事の果たす役割は大きい。講には、集まる範囲によっていくつかの段階があ...
五箇山地方では、そばは稗・マタベ・粟と並んで古くから重要な農作物の一つであった。
食べ方は、現在では、こね鉢でよくこねて薄く延ばし、細く打ってゆでて熱いだし汁をかける方法が一般的であ...
五箇山地方では古くから稗が重要な作物で、明治の終わりころまではそばや粟などとともに常食とされていた。昭和に入ってからは飛騨地方では食べられていたようであるが、利賀村ではそばや粟より早く姿を消した...
五箇山地方で古くから作られていた作物。穂先が三、四叉に分かれた稗。学名ははっきりしないが、ある図鑑には「四国稗」と記されている。味はそれほど良くないが、粟や稗より収穫量が多かったためか、どの村で...
五箇山地方の粟の品種はクロアワ・モチアワ・ネコデ・ムコダマシなどがあった。
ムコダマシは、こねると白くて粘りがあって、米の餅とよく似ている。その名は、「正月に大事な婿殿が来てくれたが...
昭和48年11月5日、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択される。
五箇山地方には麦屋節やこきりこをはじめとして数々の民謡や踊りが保存、伝承されている。これらのすべ...
屋根は一度に葺かずに、一ヒラを二つか三つにわけて葺く。つまり、両ヒラは四つから六つくらいに分けられる。屋根は15~20年ほどが寿命であるから、2~3年に一回は屋根をふく。屋根ふきの仕事はほとんど...
五箇山といえば〝平家の落人が来たところ″ということで名が高い。落人のことについては、上平村にも確かに話が伝えられていて、落人屋敷や控え屋敷などがあり、落人が逃れてきたときの様子などが哀れに伝えら...
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