NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。

  • 福野縞

    福野産業文化

    旧福野町では、明治から昭和にかけて「福野縞」と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、日常生活にも幅広く普及していた。福野縞は、縞柄の美しい木綿の織物で、江戸時代後期の寛政6年(1794)、加賀藩の命を...

  • 安永の曳山車騒動

    城端芸能文化財歴史

    安永4年(1775)12月14日、西上町組合頭谷屋吉兵衛や塗師屋治五右衛門、東上町殿村屋和助などの7名が魚津の盗賊改方役所へ出頭を命ぜられた。騒動の原因は、高岡の曳山総代が「放生津(新湊)の曳山...

  • 唐子山【出丸町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、出丸町の曳山。”布袋像”を安置している。曳山の原作は享保5年(1720)で、高砂山と称され”尉と姥”を安置していたが、宝暦12年(1762)布袋山に改められ、さらに唐子山...

  • 東耀山【東下町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、東下町の曳山。福寿山とも呼ばれている。”大黒天像”を安置している。曳山の原作は享保年間で、その後の修繕・増補によって形態・構造が拡充された。
    構造は輻車(やぐ...

  • 竹田山【西上町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、西上町の曳山。”恵比寿像”を安置している。原作は享保の初め頃で、安永年間に7代目小原治五右衛門林好が作りかえた。その後、嘉永元年(1848)に9代目・10代目治五右衛門が...

  • 千枚分銅山【大工町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、大工町の曳山。”関羽と周倉像”を安置している。享保年間に作られた原作は、明治33年(1898)の大火で焼失したため、明治39年に復元、再造された。
    構造は輻車...

  • 鶴舞山【東上町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、東上町の曳山。”寿老像”を安置している。享保年間に作られた曳山は、安永年間に7代目小原治五右衛門林好によって改作され、その後も代々の手が加えられた。明治40年(1907)...

  • 諫鼓山【西下町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、西下町の曳山。”堯王像”を安置している。原作は享保年間で年代を経て随時修繕・補修され、明治・大正の改修により構造・形態が拡大、今日の曳山が形成された。
    構造は...

  • 城端別院 善徳寺

    城端文化財寺院

    城端の大寺。浄土真宗東本願寺派(大谷派)別格別院。本尊は阿弥陀仏。城端町の発展に深い関連を持っており、城端の中核をなす寺院である。

    文明三年(1471年)、本願寺八代連如(れんにょ...

  • 蘭台

    井波文化人物

    天明期(1781~1789)の井波俳壇。明和五年(1768)に瑞泉寺第十四代住職となる。安永三年(1774)、井波を訪れた三浦樗良(ちよら)が井波の俳人と連日句会を催していたが、蘭台もそれに参加...

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