NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

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  • 松村秀太郎

    福光人物彫刻工芸

    彫刻家・陶芸家。明治21年(1888)、福光新町村生まれ。東京美術学校彫刻科を卒業後、美濃陶器工業学校に奉職。しばらくして郷里に戻り、高岡工芸学校に教鞭をとった。木彫、塑像いずれも卓越した手腕を...

  • 坂上正秋

    福光人物彫刻

    彫刻家。大正元年(1912)、荒木町生まれ。東京美術学校彫刻科在学中より、高畠大夢に師事。昭和十二年日中事変に応召して中国に転戦したが、十四年に帰還した。戦陣で病んだマラリアに苦しみながら、上京...

  • 岸駒

    福光人物絵画

    画人。寛延二年(1794)、越中東岩瀬生まれ。丸山応挙と並び称された岸派の創始者。福光宇佐八幡宮の拝殿正面に掲げられた「猛虎の図」は岸駒の作で、岸駒の最も円熟した時期の作品である。

  • 東東寅

    福光人物絵画

    画人。東寅は、天保十年(1839)に没した有名な法眼、東東洋の子である。父の東洋は狩野家で育ったが、のちに狩野家を去り、丸山応挙や池大雅に学んだ。東寅も四条派に優れていた。『西涯翁夜話』によると...

  • 浦上春琴

    福光人物絵画

    画人。文人画の大家、浦上玉堂の子。天保四年(1833)五十五歳のとき、福光村の諸家に滞在した。越中出身の門人稲垣碧峰を伴って北遊した折りのことであった。写生的な山水花鳥を描いた。

    ...

  • 白井華陽

    福光人物絵画

    画人。岸駒門下で越後の人である。士潤の別名がある。華陽の得意は鳥獣画で、天保八年(1837)三月、福光八幡宮に孔雀の大額を奉納している。

  • 川合春蝶

    福光人物絵画

    画人。川合宗兵衛。文化十三年(1816)生まれ。若くして江戸に出て浮世絵師葛飾北斎の門に入った。江戸の北斎門で技を磨いた春蝶は、師北斎の没した後、郷里福光に帰って郷土文化に新風を吹き込んだ。木彫...

  • 前村春蟻

    福光人物絵画

    画人。文化四年(1807)生まれ。幼名を源三郎といい、のち喜八と改めた。父は吉三郎と称し、前村謹堂の従弟にあたる。成人ののち、岸駒に師事して岸派を学んだ。天賦の素質に恵まれて、郷土の画人として大...

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