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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。
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ちょんがれ踊りは昔盆踊りともいわれ、春、秋の踊り、またお盆の時に神社の境内で夕方か...
昭和7年(1932)から13年間をかけて築造が進められた灌漑用の赤祖父溜池工事の作業唄。
<えんとこ節>
東西原エントコナー (アラ エーントコ エントコナー)
安永4年(1775)12月14日、西上町組合頭谷屋吉兵衛や塗師屋治五右衛門、東上町殿村屋和助などの7名が魚津の盗賊改方役所へ出頭を命ぜられた。騒動の原因は、高岡の曳山総代が「放生津(新湊)の曳山...
城端曳山祭にて登場する、出丸町の曳山。”布袋像”を安置している。曳山の原作は享保5年(1720)で、高砂山と称され”尉と姥”を安置していたが、宝暦12年(1762)布袋山に改められ、さらに唐子山...
城端曳山祭にて登場する、東下町の曳山。福寿山とも呼ばれている。”大黒天像”を安置している。曳山の原作は享保年間で、その後の修繕・増補によって形態・構造が拡充された。
構造は輻車(やぐ...
城端曳山祭にて登場する、西上町の曳山。”恵比寿像”を安置している。原作は享保の初め頃で、安永年間に7代目小原治五右衛門林好が作りかえた。その後、嘉永元年(1848)に9代目・10代目治五右衛門が...
城端曳山祭にて登場する、大工町の曳山。”関羽と周倉像”を安置している。享保年間に作られた原作は、明治33年(1898)の大火で焼失したため、明治39年に復元、再造された。
構造は輻車...
城端曳山祭にて登場する、東上町の曳山。”寿老像”を安置している。享保年間に作られた曳山は、安永年間に7代目小原治五右衛門林好によって改作され、その後も代々の手が加えられた。明治40年(1907)...
城端曳山祭にて登場する、西下町の曳山。”堯王像”を安置している。原作は享保年間で年代を経て随時修繕・補修され、明治・大正の改修により構造・形態が拡大、今日の曳山が形成された。
構造は...
城端曳山の屋台囃に関連するもの。三味線・太鼓・笛を伴奏する。この特殊な音楽は、曳山祭の始まった享保年間から行われ、代々指導者的芸達者がいたが、名が残る者はいない。明治に入り、最も傑出したのは荒木...
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