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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。
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利賀地域にある遺跡。現在の大豆谷集落より高位の東側斜面地に所在する。利賀川右岸、標高は海抜約620メートルを測り、庄川との合流点からは約8.7メートルにある。明治末期、水田を開墾した際に打製石斧...
4月21日から5月の上旬にかけて、各集落毎に春祭りが行われる。祭りは2日間で、初日が本祭り、2日目を裏祭りという。宮詣り、獅子舞、躍りなどがあり、来訪者を接待する。天保年間(1830-1843)...
屋根は一度に葺かずに、一ヒラを二つか三つにわけて葺く。つまり、両ヒラは四つから六つくらいに分けられる。屋根は15~20年ほどが寿命であるから、2~3年に一回は屋根をふく。屋根ふきの仕事はほとんど...
国指定史跡。昭和45年11月4日指定。
菅沼集落の周囲からは縄文中期の土器類が発掘されている。旧家には蓮如直筆の名号を祀っているなど、集落の創立は古い。時代に応じて急速に改築や形が変...
五箇山といえば〝平家の落人が来たところ″ということで名が高い。落人のことについては、上平村にも確かに話が伝えられていて、落人屋敷や控え屋敷などがあり、落人が逃れてきたときの様子などが哀れに伝えら...
五ヶ山の文字が、文献にはじめて見られるのは、現在のところ上平村細島生田長範氏蔵の方便法身尊像の裏書きで、
大谷本願寺釈実如(花押)
永正十五年戊寅五月□□日
...
寛永7年(1667)に加賀藩の罪人(金沢藩士)が祖山へ流されたのが始まり。元禄3年(1690)から五箇山は藩の流刑地となった。加賀藩の流刑地は庄川の右岸の集落に限られていた(猪谷、田向、大島、大...
真言密教が栄えたころ(弘法大師以後)、大門山、見越山、奈良ヶ嶽、大笠山、笈ヶ岳の峰伝いが、信仰の山、白山への修験道として、多くの行者が往来した、といわれている。さらに明治の末ごろ、大笠山の頂上か...
役行者(エンノギョウジャ)は、今から約1400年前の人であったが、心の狭いひとたちの申出によって天皇に捕えられ、伊豆の大島へ流された。この時、天皇からさしむけられた軍勢が、空を飛び雨を降らせる行...
上平地域西赤尾町地区にある寺。浄土真宗大谷派。本願寺八世法主蓮如上人の弟子道宗によって開基された。本堂は昭和初年に再建された。山門は約300年前の建築とみられ、風格もよい。庫裡は合掌切妻造りで、...
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