NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

Nanto City is working to create a unified collection of information about the many cultural and artistic resources the city possesses. This section of the website will serve as a place to collect and feature information about the culture and art of the eight former towns and villages that now make up Nanto City. Content will gradually be added over time, as we collect more and more cultural knowledge from the people of Nanto City.

本页的目的在于实现南砺市众多文化艺术资源相关信息的一元化。本页汇集了原8个町村的町史、村史以及文化艺术相关的信息。本页以汇集、反映市民大众的文化知识为目的,因此内容是一边向大家征集信息一边逐步制作的。

本頁的宗旨為統整南礪市裡數量眾多的文化藝術資產相關資訊。我們從舊八町村的町史及村史中揀選出與文化藝術相關的資訊,並彙整於本頁。本頁的另一目標為集結、反映市民的文化知識,故內容將因各位提供的資訊而逐漸完善。

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  • 真覚寺

    城端寺院

    城端西上地区にある寺。浄土真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。善徳寺列座五か寺。開基である円達は、石黒宗五郎(山本宗五郎)と称し、山本村に居住していた。蓮如上人に帰依し、後の四代目教智の時、善徳寺五代...

  • 菅大臣盆

    福野産業文化まつり・行事

    かつて福野地域では、毎年7月15日に「菅大臣盆」と称した行事が行われていた。織物業者とその従業員は午後から仕事を休み、福野縞の創始者ともいえる寺嶋屋源四郎の功績をたたえ、その碑の前で盛大な慰霊祭...

  • 福野縞

    福野産業文化

    旧福野町では、明治から昭和にかけて「福野縞」と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、日常生活にも幅広く普及していた。福野縞は、縞柄の美しい木綿の織物で、江戸時代後期の寛政6年(1794)、加賀藩の命を...

  • 城端大工

    城端歴史工芸

    近世のはじめ、諸大名がその支配地に町や都市を建設する際、大工や鍛冶など、必要な工人を優遇して各種の特権を与えていた。城端にも、加賀藩二代藩主利長から特権を与えられた五人大工のグループがあった。天...

  • 木屋五郎右衛門

    城端人物歴史彫刻工芸

    1623~不明。人形師の始祖。木屋仙人とも称される。享保元年(1716)に西下町の「堯王像」を制作したと伝えられている。その彫刻・人形師の技術はどのように習得したか、来歴はなどは明らかではない。...

  • 安永の曳山車騒動

    城端芸能文化財歴史

    安永4年(1775)12月14日、西上町組合頭谷屋吉兵衛や塗師屋治五右衛門、東上町殿村屋和助などの7名が魚津の盗賊改方役所へ出頭を命ぜられた。騒動の原因は、高岡の曳山総代が「放生津(新湊)の曳山...

  • 荒木和助

    城端人物歴史絵画彫刻工芸

    初代和助(1734~1806)は城端焼を創始し、殿村屋和助、唐津屋和助とも称された。曳山の人形作者、城端における江戸期の代表的な画家としても知られる。和助は紺屋を本業とする家に生まれたが、「唐津...

  • 唐子山【出丸町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、出丸町の曳山。”布袋像”を安置している。曳山の原作は享保5年(1720)で、高砂山と称され”尉と姥”を安置していたが、宝暦12年(1762)布袋山に改められ、さらに唐子山...

  • 東耀山【東下町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、東下町の曳山。福寿山とも呼ばれている。”大黒天像”を安置している。曳山の原作は享保年間で、その後の修繕・増補によって形態・構造が拡充された。
    構造は輻車(やぐ...

  • 竹田山【西上町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、西上町の曳山。”恵比寿像”を安置している。原作は享保の初め頃で、安永年間に7代目小原治五右衛門林好が作りかえた。その後、嘉永元年(1848)に9代目・10代目治五右衛門が...

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