NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

  • 繁体
  • 簡体
  • EN
  • 日本語

文化・世界遺産課にて随時更新作業を行うことに加えて、当ページの「編集フォーム」より、閲覧者の方どなたでも自由に書込・編集していただけます。
未掲載の記事を新規作成する場合は、「投稿フォーム」より書込をお願いいたします。
既存の記事の内容に修正・追加がある場合は、該当記事下部の「修正フォーム」よりご連絡をお願いいたします。
なお、編集されたものは一度管理者の方で確認しますので、反映にはある程度時間を要します。

※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。

  • 養蚕

    上平利賀産業歴史

    五ヶ山中においては養蚕は耕作に次いでの主産業であった。和紙作りとともに屋内作業で、女子の仕事とされた。口承によると、五ヶ山の養蚕による繭糸すなわち生糸作りは、南北朝時代に新田義貞の一族郎党によっ...

  • ササベ

    上平利賀衣食住

    笹稗。稗の一種。
    大麦の粉と混ぜてイリコ(煎り粉)にひいてなめた。湿田に作る。

  • 塩硝

    上平利賀産業歴史

    塩硝とは、硝石のことで、硫黄と調合して鉄砲火薬を製造する爆薬原料とされている。中世末から作られた換金生産物でもある。藩政期には貢納のためほぼ五箇山全域に及んだ。ある種の夏草を刈って床下に掘られた...

  • 金剛堂山

    信仰

    飛鳥時代に、修験者、役小角(えんのおずね)が開山したと伝えられる。原始的山岳信仰と仏教の密教的信仰が習合した霊地。小角が山を登ったときに熊が道案内したという口承から、紀州熊野三山の熊野信仰に結び...

  • 不滅の火

    伝承歴史

    南朝方の武将新田義貞(1338)年に、越前国藤島の戦にて討死後、一族郎党が五ヶ山に逃れて再興を図った。そのとき刀鍛冶の藤島・宇治の二氏が同道して来り、刀を鍛え、武器を制作した。藤島は山崎家に身を...

  • 麦屋節

    上平利賀芸能

    五箇山の郷土民謡。七百余年のその昔、京都に栄華全盛を極めていた平家は、木曽武者のため計らずもその勢いを失い、続いて、頼朝兄弟のため、長門の壇の浦に儚き最期を遂げた。かくて平家の一門は末路の悲哀に...

  • 人形山信仰

    上平信仰

    元正天皇の養老年間(717~723)、奈良時代に、白山・医王山を開山した、越の大徳泰澄(たいちょう)大師によって開かれたと伝えられている。五箇山の平・上平両村民の古い自然信仰。農耕用水・飲料水の...

この記事は市民の方からいただいた情報を元に掲載しています。
万が一、記事に間違いなどがございましたら該当記事下部の「修正フォーム」よりご連絡ください。
また、掲載されていない情報の投稿もお待ちしております。
南砺市民全員でこのNANTO Wiki を盛り上げていきましょう!

ページトップ