NANTO Wiki

南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。

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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。

  • 岩瀬家

    上平文化財史跡

    国指定重要文化財。昭和33年5月14日指定。

    庄川流域に限定的に見られる合掌造りは切妻造りの大きな茅葺屋根が特徴的であり、この建物はその中でも最大規模を誇る(間口26....

  • 人喰い谷の伝説

    伝承

    平村にて語り継がれてきた伝説。
    「五箇山の人が城端の町へ出る道に、横わたりの難所があった。村の人たちは重い荷をかついでこの道を通ったものである。その人をボッカといった。
    ...

  • 菅大臣盆

    福野産業文化まつり・行事

    かつて福野地域では、毎年7月15日に「菅大臣盆」と称した行事が行われていた。織物業者とその従業員は午後から仕事を休み、福野縞の創始者ともいえる寺嶋屋源四郎の功績をたたえ、その碑の前で盛大な慰霊祭...

  • 福野縞

    福野産業文化

    旧福野町では、明治から昭和にかけて「福野縞」と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、日常生活にも幅広く普及していた。福野縞は、縞柄の美しい木綿の織物で、江戸時代後期の寛政6年(1794)、加賀藩の命を...

  • 安永の曳山車騒動

    城端芸能文化財歴史

    安永4年(1775)12月14日、西上町組合頭谷屋吉兵衛や塗師屋治五右衛門、東上町殿村屋和助などの7名が魚津の盗賊改方役所へ出頭を命ぜられた。騒動の原因は、高岡の曳山総代が「放生津(新湊)の曳山...

  • 唐子山【出丸町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、出丸町の曳山。”布袋像”を安置している。曳山の原作は享保5年(1720)で、高砂山と称され”尉と姥”を安置していたが、宝暦12年(1762)布袋山に改められ、さらに唐子山...

  • 東耀山【東下町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、東下町の曳山。福寿山とも呼ばれている。”大黒天像”を安置している。曳山の原作は享保年間で、その後の修繕・増補によって形態・構造が拡充された。
    構造は輻車(やぐ...

  • 竹田山【西上町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、西上町の曳山。”恵比寿像”を安置している。原作は享保の初め頃で、安永年間に7代目小原治五右衛門林好が作りかえた。その後、嘉永元年(1848)に9代目・10代目治五右衛門が...

  • 千枚分銅山【大工町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、大工町の曳山。”関羽と周倉像”を安置している。享保年間に作られた原作は、明治33年(1898)の大火で焼失したため、明治39年に復元、再造された。
    構造は輻車...

  • 鶴舞山【東上町の曳山】

    城端芸能文化財歴史

    城端曳山祭にて登場する、東上町の曳山。”寿老像”を安置している。享保年間に作られた曳山は、安永年間に7代目小原治五右衛門林好によって改作され、その後も代々の手が加えられた。明治40年(1907)...

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