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南砺市に存在している数多くの文化芸術資源に関する情報の一元化がこのページの目的です。 旧8町村の町史・村史等から文化芸術に関する情報をピックアップし、このページに集約しています。こちらのページは、市民の皆様の文化的知識を集約し、反映することも目的としているため、皆様から情報収集を行いながら少しずつ作り上げていくコンテンツです。
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※本ページは、JSPS科研費JP16K14997の助成を受けた成果物に基づき作成しております。
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かつて福野地域では、毎年7月15日に「菅大臣盆」と称した行事が行われていた。織物業者とその従業員は午後から仕事を休み、福野縞の創始者ともいえる寺嶋屋源四郎の功績をたたえ、その碑の前で盛大な慰霊祭...
旧福野町では、明治から昭和にかけて「福野縞」と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、日常生活にも幅広く普及していた。福野縞は、縞柄の美しい木綿の織物で、江戸時代後期の寛政6年(1794)、加賀藩の命を...
福光の名産品。大正の初めからその製法に画期的な改良が行われ、品質の良いものが量産できるようになってから特産物として盛んに生産されるようになった。明治初期から大正初年にかけて生産数・品質ともに向上...
五ヶ山中においては養蚕は耕作に次いでの主産業であった。和紙作りとともに屋内作業で、女子の仕事とされた。口承によると、五ヶ山の養蚕による繭糸すなわち生糸作りは、南北朝時代に新田義貞の一族郎党によっ...
塩硝とは、硝石のことで、硫黄と調合して鉄砲火薬を製造する爆薬原料とされている。中世末から作られた換金生産物でもある。藩政期には貢納のためほぼ五箇山全域に及んだ。ある種の夏草を刈って床下に掘られた...
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