不滅の火
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南朝方の武将新田義貞(1338)年に、越前国藤島の戦にて討死後、一族郎党が五ヶ山に逃れて再興を図った。そのとき刀鍛冶の藤島・宇治の二氏が同道して来り、刀を鍛え、武器を制作した。藤島は山崎家に身を寄せて三代八十年余、住んでいた。そして藤島は鍛治の火種を火縄によって持ち運び、藤島流鍛工の火を守っていた。その火種が今も護持されているのだという。
その後、応永(1394~1424)のころ、五ヶ山の南朝軍が北朝軍に攻められて大敗した。そのとき藤島は加賀の国の松任に逃れたが、子孫は連綿として在住、庭の一隅に刀を鍛える場所を遺存して、山崎家同様にこの火種を絶やさずに守っていたという。然るに、大正年間に一度、火種が消えたそうで、はるばる、この梨谷の山崎家へもらい火に来ていったということである。
甚三郎銘の刀もあったとのことだが、現存していない。
これが、建武の昔以来六百年間守られた「不滅の火」として口承しており、その名が高かった。なおその後、山崎家は城端町へと移り、木工所を経営している。
出典
平村史編纂委員会編『越中五箇山 平村史 上巻・下巻』1985年
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