文化遺産

木彫刻のまち・井波 「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」

最終更新日:2019/02/22

木彫刻のまち・井波 「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」の画像

「木彫刻のまち・井波」の歴史的魅力を語るストーリー『宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館・井波』が、平成30年5月24日に日本遺産に認定されました。

日本遺産とは

「日本遺産」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定するものです。

ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。現在全国で67件が認定となっています。

ストーリー

【木槌の音が響き、木々の薫りが漂うまち】

瑞泉寺の門前の緩やかな上り坂、石畳の八日町通りには工房や町家が軒をならべ、どの家にも鳳凰や龍、七福神、動植物など様々なデザインの木彫看板や表札が掲げられている。通りのそこかしこから、「とんとん」「かんかん」「シュッシュッ」と時に力強く、時にリズミカルに木を叩き削る木槌の音が響き、辺りには楠や欅、檜など木々の薫りが漂う。ここは木彫刻のまち・井波である。

ひと際目を引く精緻な造りの看板が掲げられている木彫刻職人の工房は、ショーウインドウのように通りから中を窺うことができ、板張りの作業部屋の手前に弟子達、その奥で親方が自らの技を誇るように鑿(のみ)を振るう。一枚の大きな分厚い板に墨で下絵を描き、200~300種類の彫刻刀を使い分け、荒落し、荒彫り、小彫り、仕上げ彫りにと取組む。大きな欄間や繊細な仏具などは完成までに数か月から数年を要し、職人はその間一心不乱に木と格闘する。欄間や衝立、獅子頭、天神様など彫り上げられた多くの作品は工房内に大切な商品として陳列され、またそれらは若い職人達の貴重な手本ともなっている。

通りにある多くの町家は木造・中二階建てで、通りに面して格子が覆うなど江戸時代からの佇まいを留めており、全体に落ち着いた外観である。造り酒屋の町家の正面には大きな欅の一枚板の彫刻看板が掲げられ、屋号や商号、酒樽の図柄が彫り込まれている。蕎麦屋を営む町家に入ると、江戸時代の職人の手による彫刻欄間をはじめ、衝立や獅子頭など優れた彫刻作品に目が留まる。その他、通りには来訪者を歓迎する大きな木彫刻のモニュメント「花鳥の塔」などと共に、バス停や電話ボックス、ベンチ、街路灯といった井波の人々の暮らしに関わる施設にも木彫刻が施され、伝統的なまちなみと融和している。

一方、通りを北に下る本町通りには、鑿屋(のみや)、彫刻刀屋、建具屋、木地屋、塗師屋(ぬしや)などが建ち並び、彫刻職人を支える職人街として、木彫刻のまちの基盤となっている。本町通りの先には、代々瑞泉寺の大工棟梁をつとめた松井角平の手による旧井波駅舎があり、昭和47年の鉄道廃止以前は瑞泉寺への玄関口として多くの参拝客を迎い入れた。この旧井波駅舎から瑞泉寺へと向かう本町通りと八日町通り、そして八日町通りから東西に伸びる六日町通り、三日町通りなどにも、木彫刻の工房が数多く点在し、木彫刻のまち・井波は形づくられている。

 

 

【瑞泉寺の再建と井波彫刻の誕生】

瑞泉寺は現存する北陸最大の木造建築物で、その伽藍(がらん)は木造寺院としては全国屈指の規模を誇っているが、瑞泉寺と門前のまちは幾度となく井波風と呼ばれる強風が原因で大火となり焼失している。そのため防火対策として、寺の正面には大楼壁(だいろうへき)と呼ばれる高さ約6.2mもある石垣が築かれ、さらには参道である八日町通りの正面からあえて山門や本堂を少しずらして配置するなど、風の通りを抑える工夫もされており、これらは宝暦12年(1762)の大火後の瑞泉寺再建にあわせてなされたものである。そして、井波彫刻もこの時の瑞泉寺再建をきっかけに産声をあげる。

瑞泉寺再建の際、寺を飾る木彫刻を担うため、京都から派遣された東本願寺の御用彫刻師・前川三四郎に、井波の宮大工四人が弟子となり木彫刻に従事した。井波の宮大工たちは、京の芸術性の高い匠の技を吸収し、脈々と技を磨き受け継ぎながら、華麗で繊細、豪壮で大胆な井波彫刻を生み育てていったのである。

雲水一疋龍

獅子の子落とし

瑞泉寺山門の「雲水一疋龍(うんすいいっぴきりゅう)」は井波彫刻の祖となった前川の作品で、明治12年(1879)の大火の折、木彫りの龍が山門から抜け出し、近くの井戸の水を吸い上げ山門や勅使門に掛け、類焼を免れたと伝えられる。勅使門に彫られている「獅子の子落とし」は、親獅子が千尋の谷に子を落とし、断崖から這い上がろうとする子を岩陰から厳しく、そして慈愛の眼で見守る姿を見事に彫り上げており、日本の木彫刻史上に残る傑作中の傑作と言われる。本堂の東側に建つ大きな太子堂は、大正時代に造られたお堂で各所に職人の技の真髄が見られる。正面階段上の屋根を支える柱の上部内側に彫られた手挟(たばさ)み彫刻は、空間を生み出す奥行きのある彫りで、龍や幾重にも重なって見える波が立体的に表現されている。また、堂内の幾つもの欄間は、表裏に別々の絵柄を透かし彫りで仕上げられ、両側から見上げると、何層にも彫り込まれた深彫りの奥行きが見てとれる。瑞泉寺にあって太子堂は、彫刻装飾の粋を集めた井波彫刻の殿堂とも言われる。仏具においても井波彫刻は優れた作品を生み出しており、なかでも井波彫刻総合会館にある「三卓の仏具」と呼ばれる作品は、三つの経机を巧みに組み合わせたもので、その極めて繊細な手わざは見る人を唸らせる。

瑞泉寺の再建に端を発した木彫刻の技は芸術の粋まで昇華し、さながら井波の町は全体が木彫刻の美術館となった。すべては宮大工の鑿一丁から生まれたのである。

 

 

【暮らしに根づく井波彫刻と職人の食】

五箇山合掌造り集落の獅子舞

瑞泉寺の背後の八乙女山を越えると、その先は五箇山の合掌造り集落に繋がる。この集落にも井波彫刻は人々の暮らしとともにある。家々には欄間が入り天神様や獅子頭が置かれ、五箇山の寺や神社の仕切り壁や手挟みには素朴で力強い井波彫刻が彫り込まれている。また、この地で代々伝えられて来た獅子舞は、春に豊年を願い、秋には収穫への感謝を表すもので、井波彫刻の獅子頭で勇壮に舞い踊る。

井波の南西に位置する城端地域の曳山祭は、京の華麗なる祭りの流れを汲むもので豪華絢爛たる曳山の飾りは、その多くが井波の木彫刻職人の手による。また、福光地域の神輿、福野地域の曳山や庵屋台にも井波彫刻が施され、これらの地域の豊年と繁栄を祈る祭りや催しなど、人々の暮らしにも井波彫刻は根づいている。

また、かつて木彫刻職人の修行時代を支えた食事には、地元の野菜で作られた「いとこ煮」や「よごし」と呼ばれる料理があり、ハレ(特別)の日には「どじょうの蒲焼」や「かぶら寿司」が食された。これらの食は、今は井波とその周辺地域の名物料理、家庭料理となり振る舞われている。

 

 

【継承される伝統の技と拡がる井波彫刻】

井波彫刻総合会館

職人の彫り物は時代とともに変化してきた。瑞泉寺の寺社彫刻を起源とする井波彫刻は、明治以降、住宅欄間や獅子頭、置物、衝立などを手がけ、近年ではドアの装飾や照明器具といったインテリア、日用品や嗜好品などを手がけるなど、時代が求めるニーズに合わせ柔軟に対応し創作してきた。木彫刻のみで250年余も生き抜けたのはそれ故であり、井波のまちを見事な木彫刻の作品で埋め尽くすとともに、今も新しい木彫刻作品を創造し続けている。

現在、井波には木彫刻職人は250人を数え、200軒もの工房が高い技術で競い合う。井波には、木彫刻職人を目指す多くの若者が全国から集まり、修行し腕を磨き、一人前の職人となり井波でそして全国でその腕を振るう。受け継がれてきた高度な木彫刻の技は、日本各地の曳山や屋台、寺社仏閣や城郭などの彫刻に使われ、日本の伝統や文化を支えている。今や井波彫刻とその職人たちは、井波を木彫芸術のまちに造り上げただけでなく、日本の木彫刻文化を支える護り手となった。

ストーリーの構成文化財一覧表

番号 文化財の名称 指定等の状況 ストーリーの中の位置づけ
井波彫刻 未指定(伝統的工芸品) 宝暦12年(1762)の大火後の瑞泉寺再建の折、京都本願寺から派遣された御用彫刻師の技を、地元の宮大工が習ったのが井波彫刻の始まりである。現在も門前の八日町通りや本町通りには、多くの彫刻工房が軒を連ね、木槌の音を響かせている。
井波別院瑞泉寺 市指定文化財(建造物・史跡) 明徳元年(1390)に創建された、井波彫刻誕生のきっかけとなった寺。本堂や太子堂、勅使門等において、欄間や蟇股、手挟等、井波彫刻の粋を凝らした優れた装飾を数多く見ることができる。
瑞泉寺山門 県指定文化財(建造物) 山門に施された井波彫刻の多くは井波の宮大工(彫刻師)の手によるものである。正面には京都本願寺の御用彫刻師、前川三四郎が彫った龍の彫刻欄間「雲水一疋龍」が見られる。
瑞泉寺勅使門 市指定文化財(建造物) 寛政4年(1792)に再建された門で、小脇に日本木彫刻史上の傑作中の傑作とされる番匠屋七左衛門(田村七左衛門)作の「獅子の子落とし」が見られる。
瑞泉寺太子堂 市指定文化財(建造物) 井波彫刻の興隆期である大正期に再建された太子堂は、至るところに井波彫刻の傑作が飾られている。井波彫刻の殿堂ともいえる建造物である。
雲水一疋龍(うんすいいっぴきりゅう) 県指定文化財

(建造物)

瑞泉寺山門にある彫刻で、京都本願寺の御用彫刻師、前川三四郎の作。生きているかのような龍の彫刻は、井波彫刻の原点ともいえる極めて秀逸な作品である。
獅子の子落とし 市指定文化財(建造物) 瑞泉寺勅使門にある井波彫刻。番匠屋七左衛門(田村七左衛門)の作で、日本木彫刻史上の傑作中の傑作といわれている。
大楼壁(だいろうへき) 市指定文化財(建造物) 宝暦12年(1762)の大火後、瑞泉寺の再建とあわせ築かれた石垣造りの防火・防風壁。
八日町通り 未指定 瑞泉寺へと続く石畳の通りには、多くの彫刻工房が軒を連ね、木槌の音を響かせる。通りの至るところに木彫刻が施され、木彫刻のまちの雰囲気を最も感じられる場所である。
10 齋賀家住宅 国登録有形文化財 八日町通りにある、江戸時代の門前町の住宅様式を伝える町家。一階仏間、二階座敷において、井波彫刻の欄間を見ることができる。
11 町家の彫刻欄間 未指定 八日町通りの町家の屋内では、井波彫刻の代名詞とも言える彫刻欄間を見ることが出来る。中でも古い時代のものは高い評価を受けており、見応えある作品が多い。
12 町家の木彫刻看板と表札 未指定 八日町通りの造り酒屋など町家の看板や表札も井波彫刻である。八日町通りを中心に、三日町通りや六日町通り等の各家々にも井波彫刻の表札や門燈などが掲げられている。
13 本町通り 未指定 本町通りから八日町通りを上がり、瑞泉寺へと続く。通りには彫刻工房をはじめ、鑿屋や彫刻刀屋などの関連店舗が軒を連ねる。
14 井波町物産展示館(旧井波駅舎) 国登録有形文化財 代々瑞泉寺の大工棟梁をつとめた松井角平の手による旧駅舎で、かつては参拝客を迎い入れる玄関口であった。総檜造りで、欄間彫刻や蟇股(かえるまた)を用いた仏閣風の意匠に特徴がある。
15 浄蓮寺の翁塚と黒髪庵(くろかみあん) 市指定文化財含む(史跡) 八日町通りの裏通りにある、俳人芭蕉ゆかりの場所。芭蕉の弟子であった瑞泉寺11代浪化上人150回忌に黒髪庵の庭内に芭蕉堂が建てられ、井波彫刻の芭蕉像が安置されている。
16 臼浪水 市指定文化財(史跡) 瑞泉寺の開基綽如上人が乗っていた馬の足かきによって湧き出たと言われる霊泉。「井波」と言う地名や、瑞泉寺の発祥の地とされる。
17 井波の蚕堂 市指定文化財(建造物) 瑞泉寺の東に位置する養蚕社。井波の宮大工が建造した社殿「蚕堂」には、見事な木組みと細工が施され、随所に井波大工の技が見られる。本殿の両脇には、蚕にかかわる馬や桑葉の井波彫刻が見られる。
18 井波彫刻総合会館の木彫刻作品群 未指定 管内は瑞泉寺の伽藍配置をモデルにしている。豪華絢爛な欄間をはじめ衝立・獅子頭・天神様、など数百点に及ぶ井波彫刻の作品が展示されている。
19 三卓の仏具 未指定 番匠屋11代目田村与八郎の作で、大・中・小の経机、香炉台を組み合わせた仏具である。施された彫刻は極めて精緻で精巧であり、井波彫刻の最高傑作のひとつとされる。
20 越中一宮高瀬神社 市指定文化財(史跡) 本殿などで見事な井波彫刻を見ることができる。旧本殿は天保7年に建立された井波彫刻の粋を尽したものである。
21 八乙女山鶏塚と風穴 市指定文化財(史跡) 八乙女山の風穴から吹き下ろす「井波風」と呼ばれる強風が災いし、瑞泉寺は幾度となく大火にあい、再建が繰り返されてきた。山頂近くに風穴があり、8世紀ごろ、越前の僧が祠を建て、風の神をしずめたと伝えられている。
22 越中五箇山相倉集落 国指定史跡 地主神社拝殿の脇戸には「獅子の子落とし」の図が彫刻され、合掌造り家屋では井波彫刻の欄間を見ることができる。春祭りには、井波彫刻の獅子頭を付けたむかで獅子が集落を舞い歩き、五穀豊穣や家内安全を祈願する。
23 五箇山の寺社群 未指定 五箇山は浄土真宗の信仰が篤い土地柄であり、瑞泉寺との繋がりも深く、五箇山にある寺、念仏道場、神社の多くに井波彫刻が施されている。
24 城端神明宮祭の曳山行事 国指定無形民俗文化財 毎年5月初めに行われる城端神明宮の春季祭礼において、井波彫刻で装飾された豪華絢爛な曳山が町内を巡行する。通年、城端曳山会館で展示されている。
25 庵屋台 市指定文化財(工芸品) 城端神明宮の春季祭礼において、曳山とともに町内を巡行する屋台。井波彫刻による精緻な欄間がはめ込まれている。通年、城端曳山会館で展示されている。
26 福野神明社春季祭礼曳山 市指定文化財(有形民俗文化財) 福野神明社の春季祭礼において、町内を巡行する曳山と庵屋台に、井波彫刻の見事な装飾を見ることができる。
27 宇佐八幡宮春季祭礼 未指定 福光にある宇佐八幡宮の春季祭礼において、神輿や獅子舞とともに町中を巡回する庵屋台に、井波彫刻の装飾を見ることができる。
28 井波八幡宮の春季例大祭 未指定 井波八幡宮の春季例大祭において、八日町通りなど町内を巡行する大神輿や提灯屋台に井波彫刻の装飾を見ることができる。奉納される獅子舞の獅子頭も井波彫刻である。
29 木遣踊り 未指定 江戸時代、焼失した瑞泉寺を再建する為、遠く五箇山から大木を運んだ際に歌われた唄が起源とされる民俗芸能。毎年、瑞泉寺の伝統行事「太子伝会」の際、踊りが奉納され、八日町通りでは木遣り踊りの町流しが行われる。
30 よごし 未指定 かつて、彫刻職人の修行時代を支えた食事の一つ。野菜を茹で細かく切り、味噌で味付けした郷土料理。
31 いとこ煮 未指定 小豆などを煮た郷土料理で、かつては、彫刻職人の修行時代を支えた食事の一つである。
32 どじょうの蒲焼 未指定 かつて、ハレの日に食された食事の一つ。栄養豊富であり貴重な栄養源として今も彫刻職人に親しまれている。
33 かぶら寿司 未指定 かぶらに切り込みを入れ、鰤・鯖などを挟んで発酵させたもの。正月料理として今も彫刻職人に好んで食されている。
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