冨田家住宅
- 福野
- 国登録
- 建造物



概要
名称 | 冨田家住宅 とみたけじゅうたく |
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員数 | 5棟 |
地域 | 福野 |
指定 | 国登録文化財 |
種類 | 有形文化財 建造物 |
所在地 | 南砺市安居 |
指定年月日 | 主屋:平成16年7月23日 味噌蔵・南土蔵・北土蔵・長屋門:令和元年9月10日 |
所有者 | 個人所有 |
解説
冨田家は戦国時代まで遡る家系で、柴田勝家、豊臣秀吉に仕え、大阪夏の陣の後、現在地に居を構えたといわれている。現当主は18代目にあたる。
冨田家住宅は大正12年から工事を始め昭和4年頃に工事を終えている。2階は施主の16代目当主が工事途中で亡くなったこともあり未完成のままとなっている。
木造2階建て、桁行約21m、梁間約17m、入母屋造り、桟瓦葺、平入で、1階は4面とも桟瓦葺の1間の下屋としている。
当地方における伝統的形式を基調とし、全体に良材を用い、質の高い大工技術が隅々まで発揮されている。透き漆を施した木部、ガラスを多用した建具などに、近代和風の意匠が表れている。未完成の2階からは、軒先に入れた桔木などの小屋組を見ることができる。
冨田家住宅は、この地方の近代和風建築の息吹を感じさせるもので、当時の高い施工技術や意匠力を現在に伝える貴重な建物として評価されている。
味噌蔵は、昭和前期の建築で主屋北側に接続する土蔵造り平屋建て。主屋背面の石垣上には土蔵造り2階建ての南土蔵(昭和前期の建築)と北土蔵(明治前期の建築)が並び建つ。主屋正面に建つ長屋門は江戸後期の建築で江戸末期に当家に移築したと伝わる。北を門口、南を真壁漆喰塗りの物置とし、門口の冠木上に繰形付きの出梁を並べる。
主屋は平成16年に、味噌蔵・南土蔵・北土蔵・長屋門は令和元年に登録された。