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大槻伝蔵之碑

大槻伝蔵之碑の画像
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概要

名称大槻伝蔵之碑
おおつきでんぞうのひ
員数1基
地域
指定市指定文化財
種類記念物
史跡
所在地南砺市祖山熊野神社境内
指定年月日平成13年12月18日
所有者祖山地区

解説

この碑は、加賀藩6代目藩主前田吉徳の家臣大槻伝蔵のものである。大槻伝蔵は主君の側室真如院と密計し、その真如院の子、利加を世継ぎに擁立しようとして、いわゆる加賀藩前田家の家督をめぐるお家騒動を起こした。
大槻は、身分が低かったが、藩の財政立て直しなどの功績により、藩主吉徳の信任をうけて累進していった。ところが、延享2年(1745)藩主吉徳が没した後、大槻は藩主の病中の処置が不当であったなどの理由により蟄居を命ぜられ、寛延元年(1748)4月、五箇山の祖山村に流刑の身となった。
大槻は祖山村役人や番人からは丁重にされていたが、ある時、小刀を手に入れ、禁固牢の中で自害した。
芝居や講談などでは、大槻は悪の張本人になっているものもあるが、近時史家の研究によれば、むしろ希代の英才、忠臣であったとも言われている。封建時代の権勢の世にあっては、逆境にある者の末路とも考証されている。
この事件で、祖山村の役人や関係者は厳しい裁きを受けて処刑され、村中を震撼させる大事件となった。また、その後祖山村では度々火災があり、当時これは大槻の怨霊のためだと言い伝えられていた。
その後、その死を悼み冥福を念じて、祖山青年会が史実を調査し、大槻伝蔵自刃210回忌にあたる昭和32年に、この碑を建立した。

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