時衆吉江道場跡
- 福光
- 市指定
- 史跡


概要
名称 | 時衆吉江道場跡 じしゅうよしえどうじょうあと |
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地域 | 福光 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市田中 |
指定年月日 | 昭和54年12月12日(平成18年11月28日に名称変更) |
所有者 | 田中地区 |
解説
時衆(宗)二祖他阿真教により教化された吉江道場炉阿弥陀仏が田中(仏道寺)集落に仏土寺を建立し、時衆を広めた。また遊部集落にも時衆徒がおり、やがて蓮如上人の教化により講組織を中心として念仏道場へと姿を変えていった。裳無衣に袈裟姿で唄い踊った習俗は今はないが「ちょんがれ踊り」「こきりこ」「盆供養念仏踊り」に寺衆道場の踊り念仏のなごりがしのばれる。
中世から近世にかけて、吉江に鎌倉時代の新仏教の一つである時衆(宗)の吉江道場仏土寺があったといわれる。
正応6年(1293)時衆二祖他阿真教が盧阿弥陀仏を教化し、仏土寺を建立したとされている。この仏土寺が放生津(現在の射水市)の報土寺とともに越中時衆の拠点寺院であった。
しかし、文明3三年(1451)からの蓮如上人による北陸一帯の布教により浄土真宗に吸収され、講組織を中心とした念仏道場へと姿を変えていった。裳無衣に里袈裟で唄い踊った習俗はもうないが、「ちょんがれ踊り」「こきりこ」に踊り念仏のなごりが感じられる。
この寺跡は昭和33年(1958)からの耕地基盤整備事業施工の際に発見された。南北朝から室町時代にかけての五輪塔、宝篋印塔や太さ約40センチメートルを超える木柱が出土している。周辺からも、鎌倉時代から南北朝時代の珠洲(甕・壺・すり鉢)、土製燭台が出土している。