芭蕉塚
- 城端
- 市指定
- 史跡


概要
名称 | 芭蕉塚 ばしょうづか |
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員数 | 1基 |
地域 | 城端 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市城端85-1 |
指定年月日 | 昭和49年9月9日 |
所有者 | 城国寺 |
解説
城端地区の俳諧の歴史はかなり古く、萌芽期は芭蕉が越中に入る元禄2年(1689)より30~40年ほど前と推定される。延宝8年(1680)金沢の談林系俳人友琴が編んだ、加越能で現存している最古の俳書『白根草』に城端の俳人4名の名が出ている。元禄5年(1692)には初めて北陸蕉門の句集として『柞原集』が上梓されたが、これに城端人3名が記録されている。
江戸中期の俳人李夫は江戸時代全期を通じて城端が生んだ最も傑出した俳人といわれるが、本名・経歴は明瞭でない。李夫は金沢の俳人既白に随行して西国行脚し、宝暦11年(1761)秋、姫路で芭蕉の遺品菅蓑の毛を得た。翌12年(1762)には城国寺境内にそれを埋めて芭蕉塚を築いた。『諸国翁墳記』所載の蓑毛塚の中で、この城端の塚は屈指のものといわれる。『芭蕉塚由来記』(1762年)によると建碑祭が盛大に営まれた。また寛政5年(1792)には碑前にて芭蕉百回忌が行われている。