野尻城跡
- 福野
- 市指定
- 史跡
概要
名称 | 野尻城跡 のじりじょうあと |
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員数 | 1 |
地域 | 福野 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市野尻850ほか |
指定年月日 | 昭和46年7月20日 |
所有者 | 徳仁寺ほか |
解説
中世の砺波地方では、福野地域の大部分が野尻郷であり、土豪野尻氏は野尻城を築いて本拠地としていた。現在の徳仁寺の境内とその周辺が館跡とされている。
江戸時代末期の『越登賀三州志』によると、城は東西90間、南北80間の大規模なものであったとされている。南北朝時代には、桃井直常らと共に天皇方について戦い、激しい争奪の場となった。1481年には一向一揆勢に攻められ滅んだと言われている。
平成3~4年に、遺跡の東端で発掘調査が行われ、14~15世紀の遺物が多く出土した。外堀の可能性がある溝も見つかったが、明治4年の地籍図とはうまく対応しておらず、その他に城跡に関連した明確な遺構は見つかっていない。