最勝寺跡
- 福光
- 市指定
- 史跡
概要
名称 | 最勝寺跡 さいしょうじあと |
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地域 | 福光 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市西勝寺 |
指定年月日 | 昭和37年9月21日 |
所有者 | 川西地区 |
解説
川西・西勝寺地区の西側の山麓には、京都五山系の臨済宗相国寺の末寺、最勝寺があったと伝えられている。
天文5年(1536)3月の『越中国石黒郷最勝寺寺領目録』(安居寺子文書)によると、塔頭、末寺、孫末寺が15寺、所領が2カ所あったとされ、大規模な寺院であったことが分かる。
最勝寺は、当時の越中の武将、蜷川氏の菩提寺として栄えていたとされており、付近には寺に関係すると言われている大日如来像や宝篋印塔が残されている。
宝篋印塔とは、本来は宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔のことで、下から基壇、方形の基礎、塔身、笠、相輪と積み上げられた形状である。笠の四隅に突起(方位)状の飾りがついているのが特徴で、のちには供養塔や墓碑塔として建てられた同じ特徴を持つ塔の名称をさすようになった。