善法寺法印の墓
- 福光
- 市指定
- 史跡


概要
名称 | 善法寺法印の墓 ぜんぽうじほういんのはか |
---|---|
地域 | 福光 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市岩安 |
指定年月日 | 昭和36年8月30日 |
所有者 | 岩安地区 |
解説
善法寺法印は石清水八幡宮(現京都府)の神官であり、蟹谷(かんだに)地域一帯を管理していたとされる人物である。
同八幡宮所蔵『舊記抄(きゅうきしょう)』の「蟹谷庄(かんだのしょう)」に、建武5年(1338)に室町幕府初代将軍足利尊氏が内乱収束の祈願のため、蟹谷庄(南砺市及び小矢部市の一部)を同八幡宮へ寄進する記録が残されている。
同資料の別項には、長禄3年(1459)11月10日付で室町幕府管領の細川勝元が守護の畠山義就に、同八幡宮領蟹谷保(※庄は寺社や豪族等が開墾した土地、保は国府管理下の土地を指す)などの荘園管理を善法寺阿子々丸(あここまる)に任せるよう文書が残っている。他資料では長禄3年同日付で8代将軍足利義政が善法寺阿子々丸を同八幡宮の御師職(祈祷や参詣者の世話等を行う神職)として任じる文書も残されている。
この善法寺阿子々丸が善法寺法印とされ、「文明元年四月廿日」と側面に銘のある菩薩像を模した板碑が安置されている。