大谷廟
- 井波
- 市指定
- 史跡
概要
名称 | 大谷廟 おおたにびょう |
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員数 | 1 |
地域 | 井波 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 記念物 史跡 |
所在地 | 南砺市井波2630 |
指定年月日 | 昭和30年7月 |
所有者 | 瑞泉寺 |
解説
松島浄水場を東に眺め、町の共同墓地の坂道をしばらく登ると、正面に瑞泉寺の支院が見えてくる。この支院の左側の高台には、杉の木が茂り、その杉の木の下の石段を10段ばかり上がった左手に、地蔵堂や拝堂がある。また、前方の石段の上に、金屋石でつくられた石垣があり、その中に直方体の大きな切り石で積み上げ、自然石をのせた墓がある。これが大谷廟である。この廟は、瑞泉寺を開いた綽如上人をはじめ、代々の瑞泉寺住職を祀った墓である。かつては、瑞泉寺の境内にあったものを、安政4(1857)年にこの場所に移し、墓を守る寺も建てられた。かつて瑞泉寺境内にあった瑞泉寺歴代の墓所である。
瑞泉寺を開いた綽如(しゃくにょ)(本願寺五世)は寺伝では明徳四年(1393)四月二十四日、瑞泉寺で往生と伝える。また一説では京都本山から帰る途中急病となり、本願寺別当の譲り状を口述筆記させて亡くなられたという。
瑞泉寺歴代の火葬場は井波町郊外五領(ごりょう)(御陵)並びに庄川町ポンポン野にあった。
宝暦四年(1754)に瑞泉寺境内に墓をまとめて移し、安永四年(1775)、瑞泉寺再建と共に、ここ大谷の小山拝領地に移した。同十年には井波墓地が形成され、墓守の堂舎を建て杉檜等二千本を植林して景観を整えた。
文政八年(1825)、墓守の本堂が落成し、天保二年(1831)には庫裏座敷が完成した 明治九年(1876)瑞泉寺の支院となった。