城端千代音加礼
- 城端
- 市指定
- 無形民俗文化財
概要
名称 | 城端千代音加礼 じょうはなちょんがれ |
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地域 | 城端 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 民俗文化財 無形民俗文化財 |
所在地 | 南砺市城端 |
指定年月日 | 平成15年6月4日 |
所有者 | 城端千代音加礼保存会 |
解説
善徳寺で「ちよんがれ」の奉納を取持って催された「一心講踊り」については、江戸時代初期から存続すると思われるが、昭和30年頃になると、伝承者の高齢化や時代的風潮の推移に押し流されて、終焉を迎えた。しかし、昭和63年に城端千代音加礼保存会が結成され、一心講も復活して歴史ある郷土芸能を保存継承している。
盆踊り歌の起源は、陰陽道系の呪詞にあるといわれ、節談説教や説教祭文が俗化しながら変化していったものが「ちょんがれ」のようである。
また、江戸時代中期頃に、くずれ山伏や願人坊主などとよばれる門附の物乞の毛坊主が「チヨボクレ」「チヨンガレ」という説教や山伏祭文を阿呆陀羅経に節を付けた囃子で語り歩いていた。
明治時代にいたり、砺波地方一円のちよんがれの音頭取りを網羅した両砺歌道同盟が結成され、明治22年(1889)には同盟会員により、一心講での音頭番付の関札が奉納され、城端別院の本堂外縁に掲額された。また、昭和11年(1936)には音頭取り200数名の出身地や姓名を刻んだ記念の石碑が境内南側に建立されている。
城端ちよんがれは、はじめに踊りの準備として「松さか」が唄われ、輪が広がってくる頃に「目蓮尊者」を、踊り手が疲れてきたころに、辛口の「俵藤太縄ヶ池伝説物語」や「けいけいづくし」などがうたわれている。