文化芸術文化財

路通城端十景

路通城端十景の画像
サムネイル
サムネイル1

概要

名称路通城端十景
ろつうじょうはなじゅっけい
員数1巻
地域城端
指定市指定文化財
種類有形文化財
書跡
所在地南砺市城端図書館
指定年月日昭和49年9月9日
所有者南砺市

解説

芭蕉門下の1人、八十村路通は、名を紀伊、俗称与次右エ門、号は露通・呂通とも書く。慶安2年(1649)年ごろ生まれる。出生地は不祥。
貞享2年(1685)春、野ざらし紀行中の芭蕉と膳所で出会い、その門に入る。元禄元年(1688)芭蕉を慕って江戸へ行くが、芭蕉は更科紀行中で不在であった。同年8月末に対面し、それ以後芭蕉に従って種々の俳席に連なる。元禄2年(1689)『奥の細道』から帰途の芭蕉を敦賀で迎え、伊賀まで同行する。同3年から4年(1689~1690)にかけて東北を行脚し『俳諧勧進牒』を刊行。元禄7年(1694)年には『布勢の湖浮舟の賊』を、翌年に『芭蕉翁行状記』を記した。元禄8年(1695)秋には城端に滞在し、その折に、『城端附近名所十景』(別称『城端十景』)を草する。現在は巻首の一景が失われ、宥音塚・縄池祈雨・念仏谷夜月・赤渋柴石・育王房跡・渓辺醴泉・三十三塚・袴腰晴雲・駕籠渡旅情の九景が残っている。元禄9年(1696)『桃舐集』刊行。元文4年(1739)頃大阪にて没した。

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