小原治五右衛門稀雄自画像
- 城端
- 市指定
- 絵画
概要
名称 | 小原治五右衛門稀雄自画像 おはらじごうえもんきゆうじがぞう |
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員数 | 1幅 |
地域 | 城端 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 有形文化財 絵画 |
所在地 | 南砺市城端図書館 |
指定年月日 | 昭和49年4月9日 |
所有者 | 南砺市 |
解説
7代小原治五右衛門稀雄は、享保14年(1729)に生まれる。6代忠好の甥であり、忠好に男児がなかったので、養子となり7代目を嗣いだ。
城端蒔絵は初期の密陀絵による和風様式から、6代忠好の頃より白蒔絵による和風様式へと発展し、これを完成させたのが稀雄である。高岡市勝興寺蔵『松桜に千鳥文見台』(富山県指定文化財)は和風の趣の強い好例である。稀雄は「中興の祖」と仰がれ、多くの門弟を育成して城端塗の最盛期を築き、曳山・屋台をはじめ、すぐれた作品を多くのこした。余技として雛人形も制作し、和歌・俳諧を能くし文藻に富んだ。
安永の曳山訴訟にあっては身を挺して尽力した豪気な一面は有名であり、その辞世の句は水月境内の蓮子塚として現存している。寛政10年(1798)に古希を記念して自画像を描き、堀川雪郷が讃辞を寄せている。文化2年(1805)9月13日77才で没した。