荒木直暢自画像
- 城端
- 市指定
- 絵画


概要
名称 | 荒木直暢自画像 あらきなおのぶじがぞう |
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員数 | 1幅 |
地域 | 城端 |
指定 | 市指定文化財 |
種類 | 有形文化財 絵画 |
所在地 | 南砺市城端図書館 |
指定年月日 | 昭和43年9月2日 |
所有者 | 南砺市 |
解説
荒木直暢は、享保19年(1734)に城端の東下町、紺屋庄右衛門の三男として生まれた。子どもの頃は勘十郎、大人になってからは和助と名乗った。画家となってからは順風堂といい、別名を直暢や甫牛(ほぎゅう)と称した。通称は殿村屋和助で、陶芸にも秀でていたので唐津屋和助の名がよく知れわたった。
直暢は紺屋を本業とする家に生まれたが、陶芸・絵画・彫刻・人形など多方面に才能を発揮した人である。陶芸・彫刻・人形などは誰から習得したのかわかっていないが、これらの仕事をなす上においての基礎ともいえる絵画を、加賀藩狩野派の絵師梅田喜平次の門弟となって学んだ。主な作品として、城端別院善徳寺の襖絵『唐獅子図』、城端神明宮の絵額『蝦夷征伐』『八島の合戦絵図』『牛の尾を引く図』などがある。
この自画像は寛政10年(1798)3月(65才)に描いたもので、大工町の曳山御神像『関羽』の御面像を制作中の姿と考えられている。
文化3年(1806)11月29日73才で亡くなった。